2024年10月5日よりアニメが放送開始になった「チ。 ―地球の運動について―」が話題になっています。
2023年9月にビックコミックで連載が始まり、当時も話題になった作品ですよね。
作者の魚豊先生は「ひゃくえむ。」という青春スポーツ漫画を描いており、次回は人が死亡するようなサスペンス劇に挑戦したくなったと言われ、「チ。 ―地球の運動について―」を描かれています。
「チ。 ―地球の運動について―」は、「第26回手塚治虫文化賞の漫画大賞」「第14回マンガ大賞2位」など受賞されております。
そんな「チ。 ―地球の運動について―」ですが、本編の最初にラファウという天才少年が地動説を信じると宣言し毒死したのですが、なんと最終章でアルベルトの家庭教師として再登場します。
最初の死より35年後の再登場、しかも青年の姿での登場に読者は混乱し様々な意見が出ております。
地動説と天動説の論争に重要な役割を持っている神父についても調べてみました。
「ラファウ生きてた?理由や神父は誰なのかも最終回結末をネタバレ!」で以下の内容でお伝えします。
- ラファウが生きていた理由
- 神父は誰?
- アルベルトの正体
- チ。地球の運動の意味は何?
- チ。地球の運動最終回がひどいと言われる理由
以上の内容でお伝えします。
ラファウ生きてた?チ。地球の運動完結ネタバレ最終回を紹介!
「チ。 ―地球の運動について―」全8巻で完結しており、今回アニメ化もされました。
15世紀のヨーロッパを舞台にして天動説が主流の時代に、地動説を唱え神への冒涜として迫害を受けていく内容です。
その中で、重要なキャラクターとなっている「ラファウ」、しかし「ラファウ」は最初と最後に登場するんです。
その他にも重要なキャラクターで神父の存在も欠かせません。
これから「ラファウ」や「神父」そしてアルベルトについても考察していきます。
ラファウが生きていた理由
「チ。―地球の運動について―」におけるラファウの同一人物説については、最終巻での展開が多くの議論を呼んでいます。
青年ラファウと少年ラファウは別人であるとの意見が多いですが、全体としては「真理を求める人々の努力や犠牲」がテーマとなっていますよね。
そのメッセージを強調する役割の一つが、ラファウの同一人物説にもつながっているのかもしれません。
そのことも含めてラファウが生きていた理由を少し考察してみたいと思います。
ラファウの再登場と同一性
第一集のラファウ
第一集では、ラファウは12歳の少年として登場し、地動説に殉じる形で自ら命を絶ちます。
最終集のラファウ
最終集では、ラファウは青年として35年後に再登場し、アルベルトの家庭教師を務める姿が描かれます。
このラファウは、第一集のラファウと非常に似た外見を持っていますが、作中で彼が生き延びた理由については疑問点が残りますね。
同一人物か否かの解釈
同一人物説
一部の読者は、ラファウが火刑を逃れて生き延びたと解釈しています。
しかし、この解釈には本編の他の要素との矛盾が指摘されています。
別人説
もう一つの見方は、最終集のラファウは第一集のラファウと瓜二つの別人であるというものです。
作者が意図的に似たキャラクターをあえて登場させ、地動説を強調させているのかもしれませんね。
作中の構造とテーマ
パラレルワールドの可能性
最終巻の展開は、前半と後半で異なる世界観を持つ可能性があると考えられています。
ラファウの再登場が単なる続編ではなく、異なる解釈を促す要素となっているとも考えられます。
テーマの深化
作中のラファウは、知識や真理を追求する姿勢を象徴しており、全体のテーマに深く関わっています。
ラファウの存在は、歴史や真実に対する疑問を投げかける重要な役割を果たしているのかもしれません。
最終的に、第一集と最終集のラファウが同一人物かどうかは具体的な答えは出ておりません。
ラファウの再登場が複雑さと内容の奥深さを加え、さまざまな考察を生む要因となっています。
ラファウのキャラクターは、知識や真理を追求する姿勢を象徴しており、ラファウの存在は全体のテーマに深く関わっていることは間違いないですね。
神父は誰?
「チ。 ―地球の運動について―」神父たちは教会の権威を体現し、地動説を信じる者たちに圧力をかけることで、信仰と科学の対立を象徴し、その時代の主人公たちの人生に大きくかかわっていますね。
また、本編で登場する「神父」と「司祭」どう違うのかも調べてみました。
「チ。 ―地球の運動について―」に登場する神父のキャラクターについてまとめてみました。
神父と、司祭の違いはなに?
司祭とは
カトリック教会における正式な職位であり、教会の儀式や聖餐を執り行う権限を持つ聖職者で司祭は、司教から叙階され、教区内で信徒の指導や宣教活動を行います。
一般的には「神父」という呼称が用いられますが、これは尊称であり、正式には「司祭」と呼ばれます
神父とは
主にカトリック教会や正教会で用いられる呼称で、司祭のことを指します。神父は信徒に対して父親的な存在としての役割を果たし、信仰生活の指導や助けを行います。神父は通常、独身であることが求められます
要するに、カトリック教会において「神父」と「司祭」は同じ職位を指すが、「神父」はその呼称であり、「司祭」が正式な職名です。
では、「チ。 ―地球の運動について―」の作中で登場する神父、司祭をご紹介します。
どの神父も重要な役割を持っています。
・クラボフスキ
バデーニと共に教会で働く司祭。
いつも村の人の話し相手になっており、みんなから慕われていました。
第2集に登場します。
・アントニ
司教の息子で、助任司祭。
司教に気に入られているノヴァクを良く思っておらず、陥れるための機会を伺っています。
・司教
教会で最も偉い聖職者で、アントニの父。
元傭兵のノヴァクを異端審問官として雇うほど、地動説を警戒していた。
第4集に登場します。
・ダミアン司教
ノヴァクと共に働いていた異端審問官。
第7集では役職が変わり、司教になっています。
C教の信仰を守るためには、「違う考えを持つ者を愛すべきだ」と考えていました。
第2集と第7集に登場します。
・告解室の司祭
アルベルトがパンを届けに行った教会の司祭。
告解室でアルベルトの悩みを聞き、「この世で再び生きるための道」を示しました。
アルベルトに「かつて同僚の命を見捨てた」と話していることから、告解室の司祭は第4巻に登場した新人異端審問官だと考えられています。
第8集に登場します。
アルベルトの正体
ポーランド王国都市部のパン屋で働く青年。
学ぶことを重んじる父に育てられたため、天体観測や勉強が好きでした。
幼い頃の経験から、矛盾する二つの感情(疑念と信心)を持つことは不都合だと考えています。
「チ。 ―地球の運動について―」におけるアルベルトの正体は、作中で非常に重要な役割を果たすキャラクターであり、実在の天文学者アルベルト・ブルゼフスキをモデルにしています。
アルベルトの背景
実在の人物
アルベルト・ブルゼフスキは、歴史上の天文学者であり、後にコペルニクスの師となる重要な役割を果たしました。
物語の設定
本編は15世紀のヨーロッパを舞台にしており、地動説が宗教的な教義に反するため、研究すること自体が危険な時代背景があります。
アルベルトの役割
知識への探求
アルベルトは「知ること」には「血」が伴うと考え、真理を追求する姿勢を持っています。
アルベルトの言葉は、知識の重要性とその代償を示唆していると思われます。
倫理的な葛藤
アルベルトは父と先生の対照的な末路を見て、疑念と信心の間で迷うことの重要性に気づきます。
様々な迷いや葛藤の末、アルベルトは真理に迫る道を選ぶ決意を固めます。
チ。地球の運動物語との関係
歴史的なリアリティ
アルベルトの登場は、史実と結びつく瞬間であり、地動説の伝承に重要な役割を果たします。
アルベルトの存在によって、単なるフィクションから一歩踏み込み、歴史的なリアリティを持つ作品として完成されました。
科学と信仰の対立
アルベルトの存在は、科学と信仰の対立を象徴しています。
アルベルトが地動説を信じることで当時の宗教的な教義と対立し、知識の探求がもたらすリスクと科学と信仰の対立をより強調して表現していますね。
アルベルトは、「チ。 ―地球の運動について―」において、知識の探求と倫理的な葛藤を通じて物語の核心を成すキャラクターです。
アルベルトの成長と選択は、全体のテーマを深めて読者に対して重要なメッセージを伝えています。
地動説の最後のバトンをもらうアルベルトの存在は、知識の探求がもたらす美しさと危険性を象徴しており、物語の中で非常に重要な役割を果たしています。
チ。地球の運動の意味は何?
「チ。 ―地球の運動について―」のタイトルの「チ。」って何だろう?しかも「。」が付いてるし!と思われた方も多いのではないでしょうか?
実はこれには大きな意味が隠されていたのでご紹介します。
「チ。」ってどんな意味が隠されているのか?
まず、「チ。」には大地の「チ」血液の「チ」、知識の「チ」の3つから「チ。」は出来ています。
そして、「。」句点は魚豊先生の好みで前作の「ひゃくえむ。」でもつけており、主眼は「句点は文章の終わり、停止を意味する」ことにあると魚豊先生は言われておりました。
そしてもう一つの「チ。」の理由は、「チ。」一文字と句点のみの題名にすることで、ネット検索の時に検索しづらくする狙いがあるそうです。
魚豊先生がネット検索で作品名をエゴサーチして他者の意見から影響されることを防ぎ、さらには読者が他者による感想に触れずに自分だけの意見を持ちたいとの理由だそうです。
意外に「チ。」って色々意味があったんですね。
チ。地球の運動最終回がひどいと言われる理由
チ。地球の運動最終回がひどいと言われる理由
「チ。 ―地球の運動について―」の最終回が「ひどい」と言われる理由は、物語の展開やキャラクターの扱いに対する読者の戸惑いや不満が多く寄せられているためです。
以下にその具体的な理由を詳しく解説します。
物語の整合性の欠如
・キャラクターの再登場
最終回では、1巻で死亡したはずのキャラクター、ラファウが成長した姿で再登場します。
この展開は、読者にとって混乱を招き、物語の整合性が損なわれたと感じる要因の一つとなりました。
・パラレルワールドの解釈
最終巻の後半が「史実混じりの物語」と「歴史の中でありえた物語」として解釈されることが提案されています。
これが異なる現実が存在する「パラレルワールド」に感じられる読者も多く、物語の一貫性が失われたと感じる要因となっています。
テーマの不明瞭さ
・地動説の扱い
地動説に関するテーマが、最終回で十分に掘り下げられず、読者にとって消化不良な印象を与えています。特に、地動説がどのように受け入れられていくのかについての描写が不足していると感じる読者が多いようですね。
・キャラクターの運命
主要キャラクターが命をかけて地動説を追求する中で、最終的に救いのない結末を迎えることが多く、読者にとって希望が感じられない展開が続くことが不満の要因となっています。
読者の期待と異なる結末
・期待外れの結末
物語が進むにつれて、読者はキャラクターたちの成長や成功を期待しますが、最終回ではそれが実現されず、逆に悲劇的な結末が続くため、期待外れと感じる読者が多いです。
・物語の終わり方
最終回の終わり方があまりにも急で、物語全体のテーマやメッセージが明確に伝わらないため、読者にとって消化不良な印象を与えています。
「チ。 ―地球の運動について―」の最終回が「ひどい」と言われる理由は、キャラクターの扱いや物語の整合性、テーマの不明瞭さや、読者の期待と異なる結末がうまくマッチせず消化不良を招いていたようです。
これにより、多くの読者が物語の結末に対して不満を抱く結果となってしまいました。
物語の深いテーマやキャラクターの成長を期待していた読者にとって、残念な結末となったことが印象に残ったようですね。
ラファウ生きてた?理由や神父は誰なのかも最終回結末をネタバレ!まとめ
いかがでしたか?ラファウ生きてた?理由や神父は誰なのかも最終回結末をネタバレ!として考察してみました。
ラファウは最初と最後に登場する大事なキーマンであることは確かですが、実はノバックも最後まで出てきています。
しかも執念がすごいですね。
最後は娘も自分の手で殺害し、自分は焼死する壮絶な人生でした。
全体の物語の作り方も実にうまく作られており、最初は架空のP国の話から、最後はポーランド王国となり、最後の地動説継承者のアルベルトは実在する人物を起用しています。
そしてその弟子が地動説を実際に発表したコペルニクスを登場させ、現実味を加えるあたりがほんとに上手い流れになっていますね。
「チ。 ―地球の運動について―」は多くの芸能人も愛読していて、「チ。 ―地球の運動について―」大好き芸人としても紹介されています。
今回アニメ化もされ、しかも2クールで放送するなど人気が伺えます。
この秋のアニメでも注目されていますので、漫画もアニメもご覧になり「チ。 ―地球の運動について―」の世界に浸るのもいいですね。
最後まで拝読ありがとうございます。
以上「ラファウ生きてた?理由や神父は誰なのかも最終回結末をネタバレ!」でした。
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